このブログサイトは、2通りの構成をしてきました。
説明しますと…
①works#(実験室の調べ)
②note♭(落書きの音)
です。
①実験室の調べでは、福祉に関するデザイン作品を。
②落書きの音では、福祉への思考を。
記載しています。
.keiko SociáLabo© のLaboratoryは
直訳すると、実験室・研究室という意味です。
そこに私は音を掛け合わせています。
実験室の調べ、落書きの音…ノート。
そう、すべては音楽です。
こうして画面に向かいタイピングする音も、
バスから抜けるような低音を響かす深夜の冷蔵庫も、
静かに紙をめくり読む本の音も、
雨粒に垂れる緑葉のやわらかな揺れも、
水面に反射するキラキラした光も、
コール&レスポンスを繰り返す人々の会話も、
私にはすべてが音、音楽であり、
どれもが楽器に思えますし、
音楽として聴こえます。
時々、その不協和音に眩暈することもありますが、
音こそが互いの「呼吸」だと、慈しんでいます。
前置きが長くなりましたが、今回は作品ではなく、
久し振りの、note♭(落書きの音)を記載します。
落書きですので、サラ〜リと流して下さい。
落書きですので、サラ〜リと流して下さい。
< Tittle Theme >
< Summary >
「永遠」「普遍性」といった抽象的な言葉がありますね。
言葉で説明することは確かにできます。
これまでも多くの 先人たちが書き残していますね。
例えば、
『平家物語』の冒頭にあるような
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」
とか、
『古事記』(鴨長明)における
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」
のように「無常観」を描くことで、
「永遠」というものを表現し、
言葉でデザインしてきたように思います。
なんだか、中学、高校の国語、古典の授業を思い出します。
私は「永遠」という言葉にずっと疑問を持っている子でした。
永遠?エイエン?えーえん?
意味がわからない、というのではなく、
「わかりやすく、それを形にしたい」
と悶々としていた記憶があります。
今思えば…おかしな子ですかね?
しかし、そんなある日のことです。
その出逢いは思い掛けないところからやってきました。
中学1年2学期の「数学」の時間。
二次方程式を学び、正比例の後、反比例を学んだときでした。
覚えていますか?
アレです、アレ、反比例のグラフ。
この反比例のグラフを学んだ授業のあと、
その数学のK先生のとこへ、急いで駆け寄ったのを覚えています。
『先生、先生!今言われたことは本当ですか?! この曲線はX軸に限りな〜く近づくけど、交わることはないって。つ、つまり、曲線とX軸は平行線ではないにしろ、Xの値が増え、右に行くほどに近づくけど、決して交わらない…。ん〜だから、0にはならない、つまり分子を分母で割り切れない…。どこまでも0に近づく、小さくなるけど、絶対に0にはならない、んんん〜これって無限大?無限小?ですか?!うわぁ、この先どうなっているのか顕微鏡とかで見てみたいです、先生!』
と。
あらら、痛い子ですかね。
い、痛いな…。
K先生、ごめんなさい。
でも、この時に初めて「永遠」を視覚的に見た気がするのです。
反比例のグラフの中に潜む宇宙。
まさにこのグラフは「永遠をデザインしたもの」だと。
中学1年、2学期の大発見でした。
その後、私は反比例のグラフの美しさに魅せられ、
理系の道へと進むわけですが、しっかり福祉へと。
しかし、この反比例のグラフから多くのことを学びました。
永遠とは何ぞや、うんぬんではなく、
「人と人の関係」です。
これはあくまでも自論ですが、
支援場面においても、
そうでない、ごく日常場面においても、
この曲線と同じことが言えるような気がしています。
曲線とX軸が決して交わらないように、
人が人を100%理解するなんてことはあり得ないと。
「理解している、支援したつもりになるなよ…」と
よく反比例のグラフから想起します。
よく反比例のグラフから想起します。
それでも、諦めずに、永遠に無限に、その方向へは向かって行くものです。
そのプロセス、道のり、曲線。
でも完全には交わり切らない、その刹那さ。
奥ゆかしい、さわり、触り、障り、隙りの大切さ。
埋め尽くさないこと、それも人としての尊厳ではないかと。
その前提を持っている、持っていないでは、大きく違う気がしています。
喩えるならば、
瞬(まばた)きをしないと、
目視を続けられないように、
時に目をつむることの大切さ。
人にも、自分にも。
人生は正比例ではない、反比例なんだ!
とは言いませんが、生の奥ゆかしさを教わった気がします。
…K先生、あの時は、ありがとうございました。
< Others >
前回のブログ
works #10
Recovery makes a Discovery!
にて出したクイズですが、
works #10
Recovery makes a Discovery!
にて出したクイズですが、
正解は5つです。
コメント下さった「たまさん」さん、
コメント下さった「たまさん」さん、
正解です!オメデトウございます!
が、景品はございません…すみません。
が、景品はございません…すみません。
代りに、私のFavorite Musicである
haruka nakamura さんの音でも。
haruka nakamura
「音楽のある風景」より即興演奏
鍵盤と管楽、打楽のしつらえが素晴らしいです。
この質感を、どうぞ。
『ふ』つうの
『く』らしに
『し』あわせを 願う
『ふくし』は人の織りなす
生きた芸術であり、
響きあう音楽です。
響きあう音楽です。
私はそう信じています。
目指すは福祉のディスカバーリーデザイン
福祉よ、閉じるように開け
もっともっと、トジルヨウニヒラケ
.keiko SociáLabo ©
organized by .keiko
haruka nakamura さんの曲、素敵な景品です。
返信削除ありがとうございます。
反比例のグラフから、永遠を見出だす感性、素晴らしいなと思いました。
不思議ですよね。
数学のグラフひとつとっても、そこに宇宙を垣間見るような、ミクロからマクロに繋がっている感。
そこに気づく感性、数学者の素質があります(笑)
すみません。偉そうでしたが・・
私も福祉に関わるの人間です。
Dot-keikoさんがいうように、福祉は人に関わる仕事。
もちろんそれは、一般社会においての人と人の関わりにも共通する普遍化されるものもある。
人に関わる上で、その人をすべて知り尽くすことなんてできないのだ、と。
それは、どこかで心得ていなければいけないと思っています。
半面、その人を知ろうと努力していこうとすることは、とても大事な要素ですよね。
福祉における支援者と当事者と呼ばれる関わりにおいても、もっと広く言えば、私たちの社会での友人や恋人や大切な近しい人との関係においても。
反比例のグラフがどこまでもX軸に近づいていくように。それに向けていかなければならない。
交わらないけど、そこに幸せがありますもんね。
素敵な感性の落書きnoteでした。
たまさんさん、コメント、ありがとうございます。
返信削除そうですね、障害福祉においてよく見かけることでもありますが、障がいがある方だからと支援しなくては、理解しなくては、、、的な表層的な捉え方だけでは、必ずどこかで壁にぶち当たるような、逆に隙間が広がってしまうような気がしております。
まぁ答えのない世界なので、数学のようには行きませんが、応え続けることは必要ですね。
コメント、ありがとうございました。